持っていてくれ


 早朝、ビューリングの部屋の戸を、叩く手がある。
 外はまだ暗い。時計を見ると、なんと四時。こんな時間ではネウロイすら起きてはいまいと、しばらく無視していたビューリングだが、その手はあまりにしつこく、戸を叩き続ける。
「……誰だ」
 仕方なしに、苛立たしげな顔で、扉を開けた。
「オハヨ」
 立っていたのは、智子だった。
 ビューリングは少しだけ後悔した。智子だとわかっていたら、扉を開ける前に鏡を見ておくのだった。寝癖は立っていないか。目やには。
 そんな内心の焦りに気付くことなく、智子は口を開いた。
「ちょっとお願いがあるの。部屋に入れてくれない?」
 智子の口調は、少しだけ焦っているようだった。よくよく見てみると、周囲を気にするように視線を動かし、なにやら落ち着かない。
 服装もこの時間にしては、妙だった。
 寝間着でもなければ、軍服でもない。戦闘用の巫女服を纏っていた。
 敵襲であれば、ビューリングが気づかない筈はない。訓練を始めるにしても、外はまだ暗すぎた。
「……まあ、入れ」
 扉を開けて、智子を招き入れた。
「ありがと」
 小さく礼を言いながら、智子が脇を通り抜ける。なびいた髪から甘いにおいが漂い、ビューリングは視線を逸らした。
「座れよ」
 椅子を引いてそうすすめたが、智子は首を振った。立ったままで良いらしい。そのまま椅子を戻すのも億劫で、ビューリングは肩を竦めて腰を下ろした。
「それで、何なんだ、頼みというのは」
 言いながら煙草をくわえ、下を向いて火をつける。
 智子は少しだけ言い淀むようにあたりを見回して、それから決心したように口を開いた。
「ズボン貸して」
「ゲホッ! ゲホッゲホッ!!!」
 一服目の煙は、咳とともに吐き出された。
「な、何……?」
 煙が妙なところへ入ったらしく、ビューリングはむせながら、ようやく聞き返した。
「ズボンよ、ズボン。履くやつ」
「……それは、わかる。何故それを貸せと……」
「それがね……」
 もごもごと、智子は口ごもった。
「それがね、えっとね、あの子たちに盗まれてね……」
 瞬間、ビューリングの視線が、壁にかかったグルカナイフに向いた。
「追い詰めたんだけど、隠し場所全然言わなくて、今も吊るしてるんだけど、変なところで根気強いから……」
 ……殺ろう。
 智子が帰った後、まず何をするか、ビューリングの心は決まった。
「二人は何処に?」
「え? ハンガーで吊るしてるけど。首から『私は下着を盗みました』っていう札を下げて」
 智子も意外と辛辣だった。
 ビューリングが容赦してやる理由にはならないが。
「それで、明日になれば補給が来るから新しいのも手に入るんだけど、今日の分がなくて」
「……なるほど。それで、昨日と同じ物を履いていると」
「……え?」
「ん?」
「そっか、そうすれば……」
「待て待て待て待て。お前、まさか今」
「……履いてません」
 ほら。智子はそう言って、袴の裾を捲り上げた。
 智子は立っている。
 ビューリングは座っている。
 そのビューリングの目の真ん前に、肌色の膨らみが現れた。
 ガタァン。
 椅子ごと転倒するビューリング。
「バッ、バババババババカ野郎!!」
「な、何よ!?」
 バカという言葉に、裾を捲り上げたまま抗議の声を上げる智子。
「い、いいからしまえ!」
「バカって何!」
「いいから!!!!」
「あ、うん……」
 別に女同士だからいいじゃない、とか、普段風呂場で見慣れてるだろう、とか、そういったことをつぶやきながら、裾から手を離す智子。確かにその通りではあるが、ビューリングがこれまで目をそらしていたことを、智子は知らなかった。
 ビューリングは椅子を戻し、それに腰掛け直すと、咳払いをひとつし、視線を逸らしながら口を開いた。
「それなら、いいだろう。今日くらい、昨日のを履け」
「洗濯出しちゃった!」
「バカだなお前……!」
「さっきからバカバカうるさいわよ! 仕方がないでしょ!? 下着全部盗まれるとか、想定外なんだから!」
 確かにそれはその通りではあるが。
「……だからといって、私のは貸さない」
「なんでよ!」
「なんでも、だ」
 よく考えても見ろ。貸すということは、私が履いたものをお前が履くんだぞ。そして、お前が履いたものが私に帰ってくる。間接キスなどというレベルじゃないいかがわしさだ。
 ビューリングはそう主張したくて仕方がなかったが、恥ずかしすぎて無理だった。
「お願い! このままだと今日は何も履かずに外に出なきゃいけなくなるのよ! あんたはそれでもいいの!」
 良くはない。決して。他のやつに見せてたまるか、とも思う。見るのはビューリングだけで良かった。……まだ、まともに見ることは出来ないが。
 智子は、自分の隊の指揮官がそんな醜態を晒しても良いのか、という意味で言ったのだが、ビューリングの受け取り方は少し違っていた。
「……わかった。なら、新品のを貸してやる。返さなくて良い」
「悪いからあんたが普段使ってるのでいいわよ」
「それは駄目だ」
「なんでよ!」
「なんでも、だ」
 タンスから、まだ履いたことのないズボンを取り出し、智子に手渡す。
「ありがと。洗って返すわ」
「いや、返さなくてもいい」
 横を向きながら、ビューリングは呟くように答えた。
 すると、智子は顔を不機嫌に曇らせ、口をとがらせる。そしてこう言った。
「……もしかして、私が履いた後のは汚くて嫌?」
「……何?」
「さっきから貸すのを嫌がったり、私の裸を見て怒ってたわよね。私が履いた後だと、汚くて履けないって事? 私があの子たちによく襲われてるから? 扶桑人だから? それとも、私のことはそんなに嫌い?」
「ま、待て、違う。そういうことじゃない」
「じゃあどうしてよ」
 智子は真剣に怒っている。ビューリングはたじろいだ。たじろいだが、ここで何も言わないのはもっと危ないと、経験で知っていた。ごちゃごちゃになりかけている思考を必至にまとめようと努めつつ、なんとか口を開く。
「い、いや、別にズボンの一枚くらい、返すまでもないと言っているんだ」
「借りっぱなしなんて、気が済まないじゃない」
「別に、そのくらい気にするほどのことでもないだろう。たかが、布切れ一枚だ」
「たかが布切れ一枚なら、別に返してもいいんじゃないの? そこまでして嫌がる理由がわかんない」
「それはだな、その」
「汚いから?」
「違う!」
 もう、わけがわからなくなっていた。
 だからだろう、こんなことを言ってしまったのは。
「お前に、私の下着を持っていて欲しいからだ……!」

 数分後。
 一人になった部屋で、ビューリングは酒瓶を呷った。


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

ダブルマインド


 その日、私と芳佳ちゃん、静夏ちゃんは並んで料理をしていました。
 静夏ちゃんはアシスタントで、芳佳ちゃんや私の手捌きを見て勉強するつもりだと言っていました。頑張りやさんの静夏ちゃんは、見るのも一生懸命で、その真剣な表情は健気で可愛くて、ついつい眺めていたくなってしまいます。
 ただ、芳佳ちゃんがやらなければ覚えない、と言って野菜の皮むきなどの簡単な役割を任せたので、今はもっぱら、ジャガイモの皮むきをやっていました。
「ね、ねえ、リーネちゃん……。静夏ちゃん大丈夫かな……」
 芳佳ちゃんが不安げに、私に視線を向けます。
 私もまったく同じことを考えていて、静夏ちゃんの危なっかしい手元から、なかなか視線を逸らすことができませんでした。
 そうしているうちに、お昼の時間は迫ってきます。遅れたら大変。私たちは急がないといけなくなってしまって、自分の手元に集中しはじめました。そのとき。
「痛っ!」
 静夏ちゃんが、声を上げました。
 見ると、人差し指の先から、血が零れています。
「あっ! だ、大丈夫!?」
 初めての後輩であり、どこにでもついてくる妹のような静夏ちゃん。可愛くて可愛くて仕方がない様子の芳佳ちゃんは、慌てて駆け寄りました。
「見せて!」
 そして、静夏ちゃんの手を取るや、傷を改めた芳佳は、そのまま口に含んでしまいました。
 慌てたのは、静夏ちゃんです。
「み、宮藤さん! き、汚いです!」
 わたわたと指を引き抜こうとする静夏ちゃん。芳佳ちゃんはなかなか手を離そうとはしなくて、ようやく離れたとき、指先の血はにじむ程度になっていました。
「あ、そっか。最初から治癒魔法かけてあげればよかったんだ」
「そ、そうですよ! もう魔法力はあるんですから!」
「えへへ、ごめんね。つい、魔法力がなかった時の癖で」
 はにかみながら、芳佳ちゃんは、静夏ちゃんの指先へ青い光を浴びせます。
 ……いいなぁ。
 私の中で、そんな声がしました。

 いいなぁ。
 いいなぁ。
 芳佳ちゃんにあんなに心配されて、静夏ちゃんはいいなぁ。
 私も怪我をして、慌てて手を取って欲しい。
 そのまま口に含んで、はにかんだ顔を向けてほしい。
 いいなぁ。羨ましいなぁ。
 私も、怪我をしたらいいのかな。
 そう考えた時、既に包丁は、私の手のひらに突き刺さっていた。

「り、リーネさん!?」
 ちょっとぼーっとしてたみたい。
 静夏ちゃんの慌てた声で、私ははっと意識を取り戻した。
「あ、ごめんね。ぼーっとしてて……。どうしたの、静夏ちゃん」
「そんなこと、いってる場合じゃないです! 宮藤さん! は、早く!」
「う、うわあ! リーネちゃん、大丈夫!?」
 二人は大慌てで、私の腕を握っています。
 どうしたんだろう?
 ゆっくりと視線を下ろすと、手のひらから血が滝のように流れ落ちているところでした。
「…………」
 声が、出ません。
 私はそのショッキングな光景に、情けないことに、貧血を起こしそうになりました。
 慌てて、静夏ちゃんが背中を支えてくれて、転ばずにはすんだけど。少し跳ねた血液が私の顔に跳ね、生暖かい温度を伝えてきます。
「す、すぐに治してあげるから!」
 蒼白な顔で、芳佳ちゃんが叫びます。
 すぐに、治癒魔法で手のひらの傷はなくなりました。
「もう! 気をつけなきゃだめだよ!」
「うん、ごめんね、芳佳ちゃん……」
 謝りながら、私の頭の中では、傷をなめてもらえなかったことを、少しだけ、残念に思う気持ちが渦巻いていました。

 それから数日。
 私の頭の中では、その時のことが頭から離れなかった。
 静夏ちゃんの傷は舐めたのに、私の傷は舐めてくれなかった。
 静夏ちゃんの方が心配だったの?
 私より、静夏ちゃんなの?
 私を心配してよ。
 もっと、もっと、私を心配して?
 そして、私だけを心配してくれたら良い。
 今日は、私と芳佳ちゃんだけが買い物当番。
 私が運転手で、芳佳ちゃんはナビゲーター。
 車を離れるとき、私はこっそり、運転席のドアに剃刀の波を貼り付けた。

「ちょっと買いすぎちゃったかな」
 私と芳佳ちゃんは、食べ物のぎっしりと詰まった紙袋を抱えて、車に帰ってきました。
 予算ぎりぎりまで使ってしまったことを、芳佳ちゃんは気にしているようです。
「大丈夫だよ、みんなたくさん食べるもん」
 私はフォローを入れてあげました。
 実際その通りで、皆さんたくさん食べますから、食料はいくらあっても多すぎるなんてことはないんです。
「ふぅ。これで全部?」
 車のトランクになんとか押し込み、芳佳ちゃんが汗を拭います。
「そうみたい。お疲れ様、芳佳ちゃん」
「お疲れ様は帰ってからだよ!」
「あ、そうだね」
 私たちは顔を合わせて笑い合いました。
「じやあ、帰ろっか」
 そう言って、私が運転席のドアに手をかけたとき、唐突に、指に鋭い痛みが走りました。
「痛……っ!?」
 慌てて手を離すと、親指を除く四本の指が一直線に切り裂かれ、血をあふれさせています。
「どうしたの!?」
 芳佳ちゃんがすぐに駆けつけてくれ、手当てをしてくれました。
 どうして、こんな傷が……。
 得体のしれない怖さに背筋を寒くしていると、芳佳ちゃんがその原因を見つけてくれました。
「……なに、これ」
 テープで固定された、剃刀の刃。
 悪戯にしては、悪質です。
 どうして、私たちの車に……。
 辺りを見回しても、おかしな様子はありません。
「どうしよう、芳佳ちゃん……」
 怖い。
 心細い。
 一体誰が、何のためにこんなことをしたんでしょう。
 震える私の手が、温かい体温に包まれました。
「芳佳、ちゃん……」
「こんな酷いこと、絶対に許さない」
 真剣な目が、私に向けられています。
「帰ろ、リーネちゃん。私が二度とこんなこと、させないから」
 何よりも頼もしい言葉です。
 私は、とても温かい気持ちになりました。
 帰りの車の中では、私のためだけに怒ってくれた芳佳ちゃんを横目で見ながら、とてもとても、幸せな気分でいられたのです。


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

※彼女の晒した醜態

清々しき醜態


 ペリーヌがそのウィッチと出会ったのは、とあるパーティーでのことだった。
 そこでは、ペリーヌはアクセサリーに過ぎなかった。政府のお偉方による政治ショーに、ガリアの英雄として華を添える。たったそれだけのために、百言の社交辞令と、千回の笑顔を用意した。
 彼女をよく理解する人間ならば、勿体ないことだと溜め息を吐くだろう。
 その言葉は民を励ますためにあり、その笑顔は彼女を慕う者たちへの無上の報酬である。日々権力のため、額に脂を滲ませた政治屋たちに、それは過ぎたものだった。
 ペリーヌは、自分がいかに実のないことに付き合わされているか、当然承知している。それでもこうして愛想を振りまくのは、政治屋達が牙を剥き、領民を害する危険を避けようとすればこそだった。実入りはなくとも、意味はある。馬鹿馬鹿しいものではあるが。
 ペリーヌの行動は、すべて、ノーブレス・オブリージュ、突き詰めるところの、自己犠牲から発していた。
 偽善者の自己陶酔、と陰口を叩かれているのは知っていた。しかし、ペリーヌは頑として、行動原理を曲げようとはしなかった。
 頑なに自己犠牲を続けるペリーヌ。
 自問しない日はない。自己嫌悪しない日はない。日々、自分は正しいかと問い続け、そしてこうするべきではなかったかと、自分を責める。例え責めるべき点がなかった日でも、見つけられないのは不見識故だと、唇を噛み締めるのである。
 完璧な人間に、完璧な貴族に、彼女はなりたかった。
 しかし、そんなものになれるはずもないのが、現実である。
 ペリーヌは、疲れていた。
 誰もその姿を知らない。
 しかし、精神は磨耗し、身体も不調を訴えている。
 それでも働かねばならないと、自らを叱咤するペリーヌ。
 辛くないはずは、なかった。
 そういう時だったのだ、彼女と出会ったのは。
「クロステルマン中尉ですか」
 作り笑いとおべっかに疲れたペリーヌは、酔いを醒ますという口実で、テラスに出ていた。実際のところ、ワインは口を湿らす程度しか飲んでいない。酔っている筈もなかった。
 後ろからかけられた声に振り向くと、ひとりの女性が微笑んでいた。
 カールスラントの軍服を着たその女性は、中尉の階級章を付けている。歳はそれほど離れているとも思えない。年齢と階級だけでなく、独特の雰囲気があり、一目でウィッチだとわかる。癖のある、くすんだ金色の髪を自分の指先で弄びながら、ペリーヌに近付く女性。近付いてわかったが、驚くほどに背が高かった。
「はじめまして。カールスラント空軍中尉、ヴァルトルート・クルピンスキーと申します」
 クルピンスキーと名乗るカールスラント人は、人好きのする微笑みを浮かべながら、自然な足取りで、ゆっくりと距離を詰めてくる。
 ペリーヌは警戒した。
 当然の事だ。今、ペリーヌが不本意ながらも片足を突っ込んでいるのは、政治という名の泥沼なのだ。
「なんの御用かしら」
 しかし、ペリーヌは柔らかに微笑んだ。
 政治力を必要とする場面に慣れ、警戒するやり方も、効果的なものを身につけている。かつてのペリーヌは、鋭い視線を投げかけて威嚇したものだが、今は逆に、柔らかに笑顔を浮かべるのだ。味方ならばそのまま親愛の証と取るだろう。敵ならば、かみつく隙間を与えない。あわよくば、油断を誘うことも狙っていた、
「そんなに警戒しなくても結構ですよ」
 しかし、クルピンスキーはあっさりと、それを飛び越える。
「あなたの噂はフラウやトゥルーデ、じゃなくて、エーリカ・ハルトマンやゲルトルート・バルクホルンから聞いています。二人とは、原隊が一緒で」
「は、はぁ……」
 懐かしい名だ。
 一瞬記憶が過去に飛び、警戒に空白が生じた。
 意識を現在に戻したとき、いつのまにやら、クルピンスキーは隣に立っていた。
「私も今日は添え物でね。ほら、あそこにいるでしょう、ガランド少将。彼女のお供なんですよ」
 クルピンスキーの示した先には、黒髪の女性が談笑していた。
 アドルフィーネ・ガランド。現在の階級は少将。大戦初期の英雄で、主にヒスパニアで活躍したという。カールスラントのウィッチ隊総監である。とうの昔に上がりを迎えているはずだが、たまにこっそりと出撃しているという噂もあった。
 それほどの大物がくるあたり、カールスラントも意地を張っている。ガリア解放の英雄に対抗するために、それほどの大物を引っ張り出してきた。
 もっとも、ペリーヌとして張り合うつもりはまったくないし、蝶の標本を自慢しあう子どもの如き政治屋たちに、呆れるばかりだ。
「フラウとトゥルーデはそもそもこういう場に向かないし、隊長職の人たちは忙しさを理由に辞退。マルセイユはガリア系だから、ガリア人に張り合うのにはそぐわない。まあ、彼女は選ばれてもくるとは思えないけど。とにかく、そんな感じで、私にお鉢が回ってきたわけさ」
「そうご自分を卑下なさらなくても良いんじゃありませんこと」
「まあ、事実なんだけどね。私は問題児だから、本当はこういうとこ、一番来ちゃいけないんだよね」
「はあ……」
 クルピンスキーは、いつのまにか、砕けた口調になっている。
 そういえば、身体の距離も近い。香水の匂いだろうか。男物のコロンのような匂いが、微かに鼻をくすぐる。
「だからさ」
 言葉を切り、ペリーヌの耳元に、口を寄せるクルピンスキー。
「一緒にここ、抜け出さない?」
 この人は危険だ。
 甘い声の囁きに、今更ながらに警鐘をならした自分の警戒心に、ペリーヌは舌打ちしたい気分だった。
「……折角のお誘いですけれど、遠慮させて頂きますわ」
 答えに、僅かな間があった。
 少しとはいえ、離れがたく思ってしまっている自分に、ペリーヌは驚く。
「そう? 残念だな」
 そして、クルピンスキーは驚くほどあっさりと、引いてしまった。てっきり食い下がってくるとと思っていただけに、肩すかしを食らう。
「じゃあね、また縁があったら」
 片手を上げて、颯爽とその場を後にする、クルピンスキー。
 風に乗ったコロンの香りだけが、その場に残っていた。

 どうしてこんなことに、とペリーヌは思う。
 見慣れぬベッドに、見知らぬ女と同衾している。裸で、だ。
 クルピンスキーの寝顔は、子どものように、無邪気だった。
 それを眺めながら、ペリーヌは昨夜のことを思い出し、赤面する。
 はしたない。あんな声、あんな顔、あんな姿を、知り合って間もない人間に見られるなんて。昨夜のことを思い返す度に、消えてしまいたくもなる。
 しかし、どこか憑き物が落ちたような気分になっているのも事実である。
 腹立たしいことだが、ペリーヌのここまでの醜態を見た人間は、このウィッチが初めてだった。
 あれだけの痴態を見せたからには、ちょっとやそっとの弱みなど、どうということもないという気がする。
 英雄としてでもなく、領主としてでもなく、弱く情けないペリーヌをしっている人間がいる。本来は必死になって消さねばならない汚点が、今はペリーヌにとって救いであった。
 クルピンスキーは、ペリーヌの危ういところを見抜いて抱いたのか、それとも単純に抱きたかっただけなのか。どんな思惑であったかはわからない。
 どちらでもよかった。
 たまになら、この女と関係を持っても良いという気もする。
 あばずれのようだと自嘲するが、自分の醜態を知り尽くす人間に甘えられるというのは、弱い自分にとり、この上ない魅力である。
 だが、ペリーヌは思う。
 恋人にはなれないな、と。
 色事に疎いペリーヌですら、わかることだった。クルピンスキーは、深い仲になればなるほどに、相手を駄目にする女だ。
 懐が広すぎるのも、考え物だ、
 ペリーヌはもう一度、瞼を閉じた。
 たまになら、良い。
 たまになら、情けない自分も許そう。
 ゆっくりと、朝日の中の微睡みへ、ペリーヌは落ちていった。


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

酔っ払い戦争


「うわ、なんだこの臭い……」
 帰省し、実家の扉を開けるなり、エイラは渋面を浮かべた。
 懐かしの我が家のにおい。たとえそれがどんなものであれ、長く火薬や油の匂いに慣れている身にとり、それは包み込んでくれるような、安心するもののはずだった。
 しかし、これは、なんだ。据えた臭気が玄関まで充満している。こんなもの、エイラの知る我が家のにおいではない。
 ……なんだ、と言っては見たものの、こんな臭いをさせるものを、エイラは一つ知っている。
 酒だ。
 締め切った室内に、アルコールの臭いが充満していた。酒に弱い人間ならば、呼吸しただけで卒倒するしかねない。あながち誇張ではなく、その証拠に、エイラは頭がふらりとするのを感じていた。
「ねーちゃん! また飲んでんのかよ!」
 臭気の発生源たる居間に向かって、ただいまを言うより先に、エイラはそう怒鳴り声を上げた。
「あー……? エイラ、帰ってきたのか」
 姉の声で、舌の回らない、どろん、とした答えが帰ってきた。普段の覇気と自信に溢れた声は、まったく跡形もない。
 居間を覗き込み、エイラは呆れた。
 十数本の空き瓶が、床に立っていた。どれもこれも、ビールやワインなどといった、度数の弱いものではない。ウイスキー、ラム、ブランデー、ウオッカ等々、強い酒をこれだけ飲めば、巨人ですら酔いつぶせそうだ。
 その林立する空き瓶の真ん中に、儀式に捧げられる生け贄のように、下着姿のアウロラが、大の字に横たわっていた。
 これから神様に捧げられるにしては、態度がでかいな。
 エイラはそう思いつつ、アウロラの顔をのぞき込む。
「おう。おかえり」
 表情だけを動かして、アウロラは妹の帰宅を歓迎した。
 しかし、無邪気に笑う姉とは対照的に、妹はしかめっ面を崩さない。
「いつから飲んでたんだよ。家中凄い臭いだぞ」
 これでは、実家に帰ってきたのか、それとも酒樽の中に飛び込んだのか、全くわからない。
「んー? 今日、何日だっけ……」
「十七日」
「あー。帰ってきたのが十五だから、ご、ろく、ななで……」
「三日!? 三日もぶっ続けで飲んでたのかよ!?」
「おー、そうそう。三日だ。お前計算早くなったなぁ。昔はなかなか算数できなくて、教えるのに苦労したもん……」
「昔話は置いとけ! あー、もう。飲みすぎだって、ほんと……。死んじゃうぞ」
「このくらいでくたばるなら、とうの昔に死んでたさ」
 アウロラの、豊かなバストが少しだけ持ち上がった。胸を張ったらしい。
「こんなこと自慢にすんなよな……」
 戦場で弾に当たらなかった人間が、酒にあたって死んだなど、逆にサマにならないだろうに。
「ほら、もう、起きろって。片付けるからな」
「おい、まだ残って……」
「全部捨てる! もう十分飲んだろ!」
「嫌だ! まだ足りない!」
「子どもか!」
 駄々をこねるアウロラ。
「ええい、もう。いいからサウナで酔い覚ませよ!」
 その足をひっつかみ、サウナの前まで引きずっていったエイラは、服も脱がせず勢い良く放り込んでしまった。
「ぐえっ」
 どこかにぶつかったのだろう。カエルの潰れたような声が聞こえた。
「姉ちゃんの部下が見たら泣くなコレ……」
 血の繋がった、本当の家族だからこそ見せる油断した姿なのかもしれないが、流石にこんな様では尊敬する気も失せる。
「……エイラー」
「なんだよ」
「服、脱がせて」
「甘えんな!!」
 扉越しに、エイラは怒鳴りつけた。
「エイラー。頼むよー」
「自分のことくらい自分でやれっての……」
 悪態をつきながらもなんだかんだでサウナに入り、アウロラの服を脱がせ始めた。……といっても、上下ともに下着一枚ずつしかまとっていない。なんとも脱がせがいがなかった。
「姉ちゃんの副脱がせても、何も面白く無いしな……」
 胸はあるが、流石に実姉のものともなると、食指が動かない。
「ほら、脱がせたぞ」
「うむ。じゃあ、次は座らせて」
「何様だよ!?」
「……お姉さまって呼びたいのか?」
「ドン引きすなや!」
「いつの間にアホネンの薫陶を受けていたんだ……。姉ちゃんショック」
「やかましいこの酔っ払い!!」
 乱暴に座らせ、白樺の枝を束ねたヴィヒタで、思いっきりその背中を叩く。
「……ッ」
 悶絶したアウロラの背に、二発三発と打ち付けてやる。
 やがて、エイラが息を切らしたところで、その手は止まった。
「ハァ、ハァ……、酔いは醒めたか、酔っぱらい……」
「……悪かった、悪かったよ」
「わかりゃいいんだ……」
「だけどな、叩き過ぎだ……。私を新しい趣味に目覚めさせる気か」
「元々似たようなもんじゃねーか、戦争狂い」
「返す言葉も、ないな……」
 並んで腰掛けた二人は、そのままぐったりと、サウナに入っていた……。

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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萩原間九郎

Author:萩原間九郎
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