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雨の中の決闘



いつぞや友人と出しあったお題をようやく書き終えました

締め切り?

1ヶ月半オーバーしましたよ!

ちょっと長めですが、原稿用紙だと29枚くらいで、短編サイズって感じでしょうか



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 「金が無い……」
 夕陽の沈みかかった慶梁の邑(まち)。城門から続く大通では、仕事を終えた者達が酒や飯、妓を求めてごった返している。
その喧騒から少しばかり離れて、腰に長い剣を帯びた男、李勝は愚痴をこぼした。
 衣服は旅塵に汚れ、後で束ねた髪や、袖から覗く手も煤けている。元は端正な顔立ちなのだが、今は疲労と空腹で憔悴し、近寄りがたい相を浮かべていた。
 慶梁に着いた彼は、宿や飯場では無く、役所や衛兵の詰所などの集まる区画を真っ先に目指した。
 仕事を探すためだ。
 この時勢、どこの邑に行っても、役所の前には広場がある。そこは邑に住む者を集めて領主の布告を読み上げたり、攻められた際、最後の抵抗をするために陣を敷く。それが本来の使い道であるが、そんなことがそうそうあるわけもなく、普段は民衆に開放されている。
 場所や時期によって様々な使われ方をしているが、一番盛況なのは仕事の募集、求人である。
 やり方はこうだ。
まず、役所の前に仕事を募集する者が、立て札を持って集まる。内容は砕石や伐採と言った重労働から、代筆や子守と言ったもの、日雇いから長期にわたるものまで様々にある。
立て札を持った者は、それを目印に声を張り上げ、人を募集する。字を読めない者が多いため、立て札は募集する人間が読み上げるための台本と、集合場所を示す看板を兼ねた役割を担う。もしもその場に募集人がいない場合は、代わりに立て札を読むことを生業とする代読人という者があって、幾許かの銭でそれを読み上げてくれる。
募集する雇い主や内容によって条件は様々だが、人気のある仕事程、定員に達するのが早く、先着順となることも多い。そのため早朝の広場は老若男女を問わず、大勢の人間で溢れかえり、賑わいは祭りと見紛うほどだ。
そして、定員が埋まった募集から立て札を撤去して行く。
 また、広場に集まるのは職を求める者たちだけではない。
代読人のように、そういった者達を相手にした商売をする者も、多く集まるのである。飯屋や金物屋、雑貨屋といった連中が店を出しては、稼ぎ時を逃すまいと汗を流す。朝を寝る者は金を逃がす、という諺が生まれるくらいだ。
とはいえ、李勝が立て札を眺めている今は、大した募集も残ってはいない。この時間にある募集は、大体が胡散臭いものか、重労働で人気の無いものと相場が決まっている。
それでも李勝は諦めきれず、一つ一つ、すがるように読んでいった。
(ん……?)
ふと、幾つかの立て札に隠れて、倒れたものがあることに気がついた。顔を近づけてみると、いくつも足跡がついている。どうやら朝の喧騒で倒されたまま、誰も気付かず、放置されていたのだろう。
 読んでみると、そこには、私塾の教師を募集する、とあった。どうやら、教師をしている者が一週間ほど空けねばならず、代わりに読み書きを教える人間を探しているらしい。報酬も悪くない。これくらいあれば、次の邑へ行くぐらいは余裕でできるだろう。
(代読人の連中に見つからないのは、運が良かったな)
人に者を教えるという柄でも無かったが、正体不明の荷物を運んだり、場末の酒場で用心棒をやるよりは余程良い。
日は完全に沈んでいたが、李勝はこのまま募集人を訪ねることにした。

「これが、私塾…?」
 立て札にある私塾とやらは、塀に囲まれた屋敷であった。邑城を出て少し歩き、小高い丘の上にある。まるで貴族の隠れ住む別宅か、ちょっとした豪族の家のようだ。
 どこぞの名のある学者ならともかく、任せられる高弟のいない、臨時で教師を募集するような教師には、到底似つかわしくない。普通の民家か、それより少し大きいくらいの建物がその辺の相場だろう。
「…何か?」
 声を張り上げて訪いを入れた李勝を迎えたのは、無愛想な、三〇絡みの男だった。
「立て札を見てきた」
 男は李勝の浮浪者のような身なりを見、不審そうに目を細めた。
「私は用心棒ではなく、教師を募集していたはずだが…」
「得意だよ、読み書きは。荒事の方が得意なのも確かだけどな」
 特に出して見せる証拠も無いので、手を宙に舞わせながら説明する。
 男は訝しげな表情のままで、ただ一言、入れ、とだけ言った。
 それ以上は何もいう気がないらしく、背を向けて奥へ歩いていく。片腕がないらしい。空っぽの左袖が、ぱたぱたと舞っていた。
だが、歩き方から、武芸の腕はかなりのものであることが見て取れる。何気なく歩いているように見えて、いつでも跳躍出来る隙のない歩法。それでいて、身のこなしは自然そのものなのだ。李勝を警戒した様子は全くない。隙のない所作が染み付いているということもあるだろうが、李勝に殺気が無いのを感じ取っているに違いない。
自分の知った事ではないと思いつつも、少しだけ、男の過去に興味を持った。
「ここが講堂だ」
 馬のいない厩舎の前を通り、広い庭を横切ると、雨戸を開け放った広い部屋が見えた。
男は草鞋を脱いで講堂へ上がり、灯を入れた。それから棚から紙と筆を取り出して机の上に置き、
「そこに座れ。とりあえず、書いてみろ」
 ぶっきらぼうに促した。
「紙じゃないか。良いのか?」
 紙は、高価である。普通は、公文書でも特に重要なものにしか使われず、専ら木簡や竹簡を使う。それは、これまで見て回ったどこの土地でもそうだった。
「他所では高価だろうが、この国は製紙法が発達しているお陰で、安く買い求められる。木簡や竹簡を使う者の方が少ない」
「他所に持って行って売りゃ…」
「やめておけ。官営だ。周りの国に持っていって紙を売れる商人は決まっているし、遠くに持っていくとかえって赤字になる」
「官営?またどうして」
「木簡や竹簡より記載出来る情報が多い上、携帯出来る量が段違いだ。抹消も容易で、軍事・政治の効率を上げてくれる。周りにこの技術を渡したくないのさ。製造法は勿論、どこで作られているかも秘密だ」
「へぇ…。詳しいな、あんた」
「この国の人間なら誰もが知っていることだ。知りすぎると殺されるがね」
 会話しながら、李勝は紙をすらすらと字で埋めていく。一文字ずつ別れた読みやすい字ではなく、学者のやるように、崩した字を繋げている。鑑賞に値する、とまではいかないが、上手い字ではあった。
「ふむ…兵書に経典…こちらは法か……」
 男が感心したように呟いた。
 何を書いていいかわからなかったので、昔教わったものを、思い出した順に書いていっただけだったのだが。
「本当らしいな。身分を疑いたくなるような学識だが…。まぁ、いい。お前に頼むことにする」
「おお、そいつは助かる」
「一週間、留守にする。その間門人に読み書きを教えてくれ。報酬は後払い、額は立て札の通りだ」
「ああ」
「この家のものは好きに使ってくれて構わん。だが、値打ちのある物はない。盗んで売っても二束三文にしかならんよ」
「こんな立派な屋敷にすんでいるのに、か?」
 李勝が意地悪げな笑みを浮かべて聞いた。
「世を捨てたようなものだからな」
 答えた男の声は、ぞっとするほど空虚だった。
「…なにか質問はあるか」
 李勝の顔に複雑な表情が浮かんだのを見て、男は話題を変えた。
「あんたの名前、聞いてもいいか?」
「…ああ、そうだな。すまない、すっかり忘れていた。私は慶士という」
「俺は李勝だ。よろしく」
「こちらこそ」
 体温の高い右手と、低い右手が握手を交わし、契約成立となった。
 聞けば、慶士の出立は明後日だという。
門人への面通しは翌日やるということにして、その晩は私塾で行う講義について、存分に語りあった。

早朝、慶士は徒歩で出立した。
 彼は私塾では金を取らず、書物の複写や、代筆を主な収入源としているらしい。今回は隣の邑まで複写した書物を届けに行くのだと言う。
 前日のうちに、主な門人との面通しは済ませてあった。講義が滞ることはないだろう。尚薄という、門人では古顔の男も色々と手伝ってくれるらしい。
 門人達が集まるのにはまだ時間がある。李勝は講堂の雨戸を開けて軽く掃除を済ませ、朝食の前に少し、体を動かすことにした。
 よく均された庭で上半身裸になり、剣を抜き放った。
 剣は普通の規格よりも剣身・剣把が長く、柄尻には細い鉄鎖を編み込んだ、長い飾り紐が巻かれている。
 長ければそれだけ扱いづらいものだが、彼の師にあたる男はもっと長い剣を使っていた。師はその気になれば熊ですら膾切りにしてしまう。何度かその光景を目にしてきているので、見栄や例え話の類ではないことをよく知っている。流石にそれには及ばないものの、厳しい修行にたえてきたのだ。剣には多少、自信がある。
 片手、両手、順手、逆手…様々な持ち方、振り方で感触を確かめた。
技術というものは、まず身体が出来ていないと機能しないものだ。痩せすぎや太り過ぎは勿論のこと、筋肉が着きすぎても、振りは鈍る。
 目を閉じて、刃が風を裂く音を聞く。重く厚い剣身にも関わらず、枯れ枝を振ったように短く鋭い音だ。
 (悪くない…)
しばらく振り続けた後、李勝は満足げに頷いて、剣を鞘に収めた。
 だが、身体は少しばかり汗ばんでいる程度。これでは身体の状態を保つことは出来ない。
剣を塀に立てかけ、庭の端から端へと、何度も全力で駆けた。
 息が切れ、全身が心地よい痺れを感じるにいたって、李勝は鍛錬をやめ、井戸で水を浴びた。熱い鉄に水をかぶせたように、体から湯気が上がる。
 濡れた身体を拭いながら台所へ上がり、衣を羽織って、出立前の慶士と取った朝食の余りを腹に入れた。
あとの時間は、集合を待ちつつ、慶士の写した本を読むことにする。仕事する傍ら、気に入った本は自分用に一冊写しているらしい。書庫には紙を綴った冊子が、山のように積まれている。
李勝は適当に選んだ一冊を開き、机に肘をついて、しばらくの間、それに没頭していた。

「お疲れ様でした、先生」
 講義を終えた後、尚薄が椀に水を注いで持ってきてくれた。
 茶がいいな、とは思ったが、この地方ではあまり茶を作っていないらしい。茶よりも、米から作る酒に力を入れているのだそうだ。
「先生って柄でも、無いんだけどな」
「いやいや…とてもお上手でしたよ。人に教えるのがお得意なのでしょう」
「お前、口が達者なんだな」
「これでも、商人の端くれですので。まぁ、まだ小間使いではありますが」
「小間使い、ね」
 謙遜にも程がある。李勝はそう思った。
尚薄の着衣は派手ではないが、襟元や袖口といった、細かいところに微細な飾りがしつらえられているのだ。それらは嫌味がない程度に、景気の良さを見せている。尚薄自身も、小柄だが血色はよく、動作には弛んだところが一切ない。そもそも、小間使いでは私塾に通う時間的余裕など、あろうはずもないのだ。
「いやぁ、私は商家の跡継ぎなんですよ。兄が早くに他界してしまいまして…。父が知識は無駄にならないと、こうして通うことを許してくれているのです。後妻として入った義母はあまり良い顔をしませんが…。奉公人も何人かずつ、交代で来ておりますよ」
 つまりは余裕があるということだろう。使っている人間の数も多く、主には見どころのある人間に教育を施す度量もある。
「繁盛しているようだが、何を扱っている?」
「主に扱っているのは、紙ですね。最近は酒と食料も少し」
「官営の紙を売れる商人、か。さぞかし儲かっているんだろう」
「慶先生より聞かれましたか。まぁ、競争相手があまりおりませんから。とはいっても、その身分を維持する努力が、また大変なのですよ」
 そう言って、尚薄は抜け目のない、商人の顔で笑って見せた。
才覚のある商人というのは、近づきすぎると危険だが、かと言って敵にも回さない方がいい部類の人間でもある。
この男は、今はまだ力不足かもしれないが、いずれそうなるだろう。頭の回転は速いし、なにより、人の心を読む才能を、言葉の端々に見せる。
話していて面白い相手ではある。相手にとって不足なし、という気分にさせてくれるのだ。
 話し込むうちに、空の色は赤から深い紫へと、移りつつあった。
 館は邑から少しばかり離れた場所にあって、城門が閉まる時間が近づくと、人の気配は絶える。締め出しを食らう城内の民は言うに及ばず、城外に住む農民達も内職に励まねばならず、少しでも多くの銭を稼ぐため、一時足りとも無駄にすることはしない。
今は人の声もなく、ただ風が庭の草を撫でる音と、静かな虫の鳴き声が響くのみとなっている。
賑やかな城内の宿も良いが、野宿することも多い李勝にとっては、こういった聞きなれた音のする場所の方が落ち着いて寝られる。
 尚薄が帰り支度をする間、目を閉じて音に聞き入っていた李勝は、ふと、周囲に違和感を感じた。
 長く旅に暮らしてきた李勝は、独特の勘を身につけている。お陰で危険を逃れられた事は、一度や二度ではない。
 その勘によれば、自然のものとは違う、微かな音と空気の揺れが、何かを確かめるように館の周りを動いているらしい。
時折、視線がこちらに向いているような気もした。
少なくとも一人、何かしらの目的を持ってこの屋敷を窺っている。
 誰が、何故?
 慶士は何か、恨みを買ったりはしていないかと、尚薄にそれとなく聞いてみたが、それは有り得ないと言う。
流れ者の自分を怪しんでいるのだろうか、とも思ったが、尚薄が帰り、夜が深くなった頃には、その気配は消えていた。
(俺を見ていたのではないのか…?)
李勝は首をかしげた。
 
 慶士が帰りついたのは、予定の通り一週間が経った日の夕方、李勝が雨戸の補強を行っている真っ最中だった。
 この日、嵐が来るとのことで、講義は早々に切り上げて、門人たちを帰らせている。
今頃は李勝と同じように、必死で店や家の補強を行っていることだろう。
一方の慶士は紐のついた革袋を肩に引っ掛けるようにし、左袖をなびかせながら悠々と歩いて来た。
(いいご身分だ…)
 そう思っても、大事な雇い主で、意気投合したこともあり、流石に口には出さない。
「一週間、しっかりやってくれていたようだな」
「金目の物を持って逃げる、とでも思ってたのか?」
 汗を拭い、皮肉で答える。
「それでも構わない、とは思っていた。なにせ、見ず知らずの流れ者に家を任せるのだから。もっとも、盗めるのは買い手の付かない写本くらいのものだろうが」
「見る奴が見れば価値がある、という類のものだからな、本って奴は」
「必要としている人間にとっては千金の価値があるが、無理にその人間を探し出そうとすれば、万金が必要になるものだ」
「盗んでも邪魔になるだけ、か」
「そういうことだ。まぁ、お前が自棄になって火をつける人間じゃなくてよかったよ。家無しで嵐を凌ぐのは、中々辛い」
 言って、慶士は空を見上げた。分厚いねずみ色の曇がどんよりと空を覆っている。少しずつ、風も出てきているようだ。
「よし、と」
「終わったのか?」
「ああ」
「すまんな、こんなことまでさせて」
「いいさ。嵐が過ぎるまでは、あんたがなんと言おうと世話になる」
 慶士は苦笑した。だが、満更でもなさそうだ。
「ちょっと出かけてくるよ」
「何処へ行く?今にも降り出しかねんぞ」
「酒を切らしちまったんだ。尚薄に頼んで用意しておいてもらってる。すぐ帰るさ」
「金は?」
 李勝は何も言わずににやりと笑い、慶士はやれやれと、首を振るばかりだった。

「先生、やっと来ましたね」
「悪い、待たせた」
 尚薄と落ち合ったのは、酒屋の前。荷車には酒の入った樽が載せられているが、人足はいない。代金をケチり、李勝が自分で引くつもりだった。
「降り出しそうだ。後は俺がやるからお前は帰ったが良い」
 李勝は手を振ったが、
「お気持ちはありがたいですが、そういうわけにもいかず…。さ、急ぎましょう、急ぎましょう」
 尚薄はそう言って荷車の後ろを押してくれた。
 ともすれば嵐が過ぎるまで帰れなくなり、商売にも差し支えが出るだろう。
ここは固辞して帰らせるべきなのだろうが、李勝がそうしなかったのは、また例の視線を感じていたからだ。視線は、尚薄と落ち合う少し前からあった。
未だに正体も目的も不明なのだが、薄々、
(見られているのは尚薄なのではないか…)
 と思い始めている。
 害意を持っている可能性もある。
むしろ、ここまで執拗に視線を向けるというのは、害意あるが故と考える方が自然だろう。そうなれば、自分が一緒にいてやる方が安全かもしれない。
 李勝は警戒した様子など、毛振りにも見せず、冗談を飛ばしながら荷車を引いた。
 城門を出たところで、
「先生、降りだしました!」
 尚薄が叫んだ。
 視線の主はこの時を待っていたと見え、気配を膨らませ、殺気も滲ませている。まだ襲いかかってこないのは、雨足が強くなるのを待ち構えているのだろう。
 雨が強くなれば、音も気配もかき消されてしまう。
 一対一ならそれでも負ける気はしないが、大勢に襲いかかられると、不味いことになりかねない。こちらは尚薄を守りながら戦わなくてはいけないのだ。
 二人は早足で私塾へ向かう。
 距離は中頃、と言ったところか。
 雨脚も大分に強くなり、城からも離れた。
 引き返しておくべきだった、と後悔したのも遅く、じりじりと、十人程の人間が近づいてきている。
(これは…何も無しにたどり着くのは無理だな)
 李勝は一本の大きな老木があるところで立ち止まり、いつになく真面目な顔で、
「尚薄」
 と呼びかけ、荷車を大木の前まで引いて横倒しにしてから、
「少しの間、荷車の影に隠れていろ。俺がいいと言うまで、体を丸めてじっとしているんだ。何があっても、な」
 異論を挟ませない調子で指示をした。酒はこぼれて雨と一緒に流れてしまったが、それを気にする様子もない。
「は、はぁ…」
 状況をわかっていない尚薄は少しばかり戸惑ったが、結局李勝に従って、もぞもぞと、荷車の影に屈み込んだ。一週間程度の交誼ではあったが、李勝が意味もなく、そういうことを言う人間ではないと、わかっていたからだろう。
 一方の李勝は背に負った長剣を持ってゆっくりと引き抜き、鞘を無造作に放り捨てた。
 そして別段構えるでも無く、自然体を保ったまま、無言で立ち尽くしている。
 ゆっくりと、近づく気配はあるが、まだ姿を見せない。
 強くなった大粒の雨が李勝の全身を打ち、ばちばちと音を立てている。
 つ…と、眉のあたりから垂れた水滴が、右目に入った。
 誰かが手を挙げた、気がした。
 そう感じた瞬間には、李勝は緩めた全身の筋肉を引き締めて、短剣を片手に飛びかかった男を両断している。意表をつくべく、その男の背後に隠れて迫った者は、目を驚きに染めて、李勝の真上を通って着地した。
 右目を拭うことすらせず、屈んだ体勢のままで、荷車の周りをまるで這いずり回るかのように駆けた。
たちまち半数を斬って捨てたが、残った半数はちと、質が違うらしい。
 目標を尚薄から李勝に絞った動きは、
(相当に場数を踏んでいる…)
 と李勝に冷や汗をかかせるほどのもので、迂闊に動くことが出来ない。
 捨て身で動きを止める死に役と、相当に腕の立つ殺し役が、入れ替わり立ち代り攻めかけ、尚薄を庇う李勝は散々に苦しめられた。
 表裏一体の攻防を繰り返すうち、ようやく相手の人数が二人まで減った。残るは殺し役の男が二人。大男と、首魁らしい、一番腕の立つ男だ。
(さて、厄介な…)
 李勝は無傷だが、この雨である。体温を奪われ、徐々に剣を握る力も弱ってきている。
 相手も同じ状況、と思いきや、あちらは李勝ほど動きまわってはいないのだった。
疲れさせるために死に役をけしかけ続け、腕の立つ二人で始末をつける算段だったのかもしれない。
 一人ずつ戦おうとすれば、片方と切り結ぶ間にもう片方が尚薄を殺すだろうし、かといって、この状況で二人を同時に斬るのは難しい。
(さて、どうするか…)
 二人が距離を詰めてくる。
(相手の剣は短いが…)
 小さく一歩、また距離が詰まった。まだ、剣は届かない。
(ええい…!)
 長剣が届く距離になって、李勝は跳んだ。
 読んでいたかのように二人は身をかがめて斬撃をかわし、大男が振り向いて李勝の背中を追う。首魁の男は、尚薄のいる荷車に向かって駆け出した。
 まさに。賭けではあったが、李勝はそう動いてくれるのを待っていた。
振り向きざまに追い縋った大男の膝を、跳ね上げるようにして斬ると、今度は袈裟斬りにするように思いっきり長剣を振って、首魁の男へ投げつけた。
回転せず、まっすぐに飛んだ長剣は、狙った通りに首魁の頭へと突き刺さり、そのままの勢いで荷車へと、磔にしたのだった。
「尚薄、もういいよ」
「せ、先生…これは…」
 尚薄が、荷車の影より真っ青な顔を出した。
「お前を殺しにきたらしい」
 言いながら、李勝は涼しい顔で片足になった大男に当身を食らわせ、絶息させた。手早く止血してから剣を引き抜き、柄の飾り紐を解いて縛り上げる。
「背負っていくのも億劫だ。荷車に乗せていこう。起こすのを手伝ってくれ」
「つ、連れて行くのですか?」
「怖いか?まぁ、真相は、こいつから聞くのが手っ取り早いだろう」

 慶士の家へ運び込み、多少手荒な方法を使ってまで聞き出そうとしたのだが、結局男は口を割らず、嵐がやんだところで慶梁の兵士に身柄を引き渡した。
 まだまだ、やろうと思えば口を割らせる方法はあったが、男は血を失いすぎて衰弱していたし、目を話すと舌を噛み切ろうとするので、大人しく本職の者に委ねることにしたのだった。
 そちらの“尋問”でも男は相当に粘ったそうだが、一月程経った日、ようやくに口を割ったらしい。
 その頃李勝は既に慶梁を発った後であり、しばらくして後、慶士からの書簡で事件のあらましを知ることとなった。
その書簡の中で、慶士はきな臭い物を感じたと、はっきり書いており、それについては李勝も同感だった。
 事件を簡単に言うなら、後妻として入った尚薄の義理の母が、自分の弟を跡継ぎにしようとして仕組んだもの、ということになる。
 それだけならば、まぁ、普通の跡目争いと言えないこともない。結果的に無傷でもあるし、尚薄も運が悪かった、と苦笑して終わらせることも出来たろう。
 だが、二人が引っ掛かりを覚えたのは、あの日、尚薄を襲った連中の手並みであった。
 ただのごろつきではない。死に役と殺し役に別れ、自らの命を簡単に捨ててみせたのだ。殺しを生業にしているものでもそんなことはやらない。特殊な生まれ、特殊な育ち、特殊な訓練。そういったものをへて、人であることを捨てた、悪霊のような連中だからこそ、やってのけられる。
 この悪霊のような奴は雇うのに法外な金を使うはずだが、それ以前に、渡りをつけることすら難しく、接触しようとしただけで殺されることもあると言う。
 そんな連中をどうして雇いえたのか、それは後妻も語らなかった。と言うよりも、獄中で急死したために、語れなかったのだ。
 誰か仕組んだ人間がいるのは間違いあるまいが、その目的が大層なものであるとも李勝には思えなかった。
 慶士は陰謀がある、などと書いているが、商人の倅を殺して何の陰謀があると言うのか。小金を吸い取るのが精精といったところだろう。
 後味の悪い事件だったが、それだけだ。
 その黒幕とやらと関わることももうなかろうし、また流れに任せた旅に出るだけの事。
 考えるのにも飽き、書簡をたたんで懐にしまうと、間もなく、李勝は大きないびきをかき始めたのだった。


                                    【終】
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